心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門―エビデンスを「まなぶ」「つくる」「つかう」という本を,心理統計が好きな友人から借りて読みました。
この本では,
- エビデンス(根拠)に基づく臨床の実践(Evidence-Based Practice)がいかに重要か
- エビデンスとは何か。EBPの実現のためには何をすれば良いのか。
- 日本の臨床心理においてエビデンスに基づく実践がいかに為されていないか
といったことが書かれていて,
私は最初「心理学系の実証分析の話をざっくり掴めたら良いかな」という意識で読んでいたのですが, それだけでなく,上に挙げた3番目の「日本でEBPがいかに遅れているか」という部分も大変ショッキングな事実を知ることができて,
「心理職のための」と書かれているものの,私のように一般の人にとっても有益な本だと思いました。
エビデンスに基づく実践(Evidence-Based Practice:EBP)とは
心理学におけるエビデンスに基づく実践とは,患者の特性,文化,好みに照らし合わせて,活用できる最善の研究成果を臨床技能と統合することである。
エビデンス至上主義ではなく,エビデンスは患者のためであり,患者の特性に合わせることを重視するという点は,治療の相手がいる臨床心理特有のものがあり,計量経済学のテキストとの雰囲気の違いを感じました。
エビデンスの質
エビデンスにはレベルがあり,質の高いものから順に
- RCT(ランダム化比較試験)の系統的レビュー(メタアナリシス)
- 個々のRCT
- 準実験
- 観察研究(コホート研究,ケース・コントロール研究)
- 事例集積研究
- 専門家の意見(研究データの批判的吟味を欠いたもの)
となり,EBM(エビデンスに基づく医療)においてエビデンスと言うときは1・2を指します。
この本の実証分析の手法について触れている部分は,専門家でなくてもわかりやすく書かれていて,計量経済学分野の一般向けの本『原因と結果の経済学』を思い出します。
- 作者: 中室牧子,津川友介
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2017/02/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『原因と結果の経済学』ではエビデンスのレベルは
- RCTのメタアナリシス
- ランダム化比較試験
- 自然実験と疑似実験
- 回帰分析
と書かれていて,3以降が異なります。
心理学的な実証分析の手法の用語まとめ
準実験:実際に何らかの介入を行ってその変化を測定する研究(臨床研究,介入研究)のうち,ランダム化した対照群を有しないもの
- 前後比較研究:参加者の一群に介入を行って,その前後の状態を比較する研究
- 不等価2群比較デザイン:介入群と対照群の比較をするが,割り付けは参加者の希望によるもの
観察研究:研究者が実際に介入を行うことはなく,既に行われた介入や何らかの要因の影響を観察する研究
- ケース・コントロール研究(症例対照研究):疾病に罹患した集団を対象に、曝露要因を観察調査する。次に、その対照として罹患していない集団についても同様に、特定の要因への曝露状況を調査する。以上の2集団を比較することで、要因と疾病の関連を評価する。
- 例えば,現在うつ病に罹患している人と健康な人の群を比較し,過去に遡って親子関係の特徴を検討するような研究
- コホート研究:特定の要因に曝露した集団と曝露していない集団を一定期間追跡し、研究対象となる疾病の発生率を比較することで、要因と疾病発生の関連を調べる
- 例えば,現在の親子関係の特徴に着目し,アタッチメントに問題のある群とない群に分けて,将来に渡ってフォローアップし,うつ病を発症するか否かを比較するような研究
- ケース・コントロール研究(症例対照研究):疾病に罹患した集団を対象に、曝露要因を観察調査する。次に、その対照として罹患していない集団についても同様に、特定の要因への曝露状況を調査する。以上の2集団を比較することで、要因と疾病の関連を評価する。
日本の臨床心理学研究の現状
「臨床研究と言うと事例研究のことだと理解されている向きがある」
- 日本の学術誌『心理臨床学研究』の2011年から2014年8月までに発表された論文311件のうち,事例研究が198件(63.7%),準実験16件,RCTは0件
- 一方,アメリカの学術誌 "Journal of Consulting and Clinical Psychology"では,203論文のうちRCT論文が118本,メタアナリシスが11本で,掲載された論文の約59%がRCTまたは系統的レビューで,事例研究は0件
だそうで,日本の臨床心理学研究は「エビデンスに基づかない医療」へとガラパゴスな進化をしたようです。
確かに,論文サイトで検索してみても,臨床心理学系でRCTの論文はなかなかヒットせず,数が少ないようでした。
この本では,執筆時点での疾患別エビデンスも述べられていました。
例えば,箱庭療法という,患者に砂場の箱庭におもちゃを並べさせる治療法が日本で好まれていて(箱庭療法の論文自体が少なく,その多くは日本語で書かれていて),箱庭療法にはエビデンスがないということも述べられていました。
私は小学生の頃に不登校になりカウンセラーに箱庭療法を受けた記憶があり,私にとって身近な臨床心理の治療法は箱庭療法だったわけですが,あれもまさに「エビデンスに基づかない治療」だったんですね。
私が箱庭療法を受けたのは10年前くらいですが,現在も日本臨床心理士会のWebサイトにも載っているくらいなので,おそらく今も現役の治療法なのでしょう。
本書では,害があることが2002年の論文で示されていた「心理的デブリーフィング(被災者に被災した時の状況を語らせたり,描かせたりすること)」という治療法を東日本大震災の被災者に対して行った臨床心理士の話も当時の新聞の画像とともに掲載されていました。エビデンスに基づかない治療の危険性は当時話題に上がったのだと思いますが(検索するとデブリーフィングを使わないようにと政府が注意喚起した文書も出てくるくらいなので),上に述べたように少なくとも2014年までの論文ではEBPは全然進んでいなさそうです。
今後,自分や自分の身近な人がカウンセリングのお世話になることがあったときには(なかなか無いと思いますが),「日本の臨床心理士の多くは根拠のない治療を行っているのかもしれない」ということを心に留めておき,ちゃんとした臨床心理士を選ぶよう努力する必要がありそうです。その時までに日本の臨床心理の状況が変わっていると良いのですが‥。